2023/10/18

指輪

  棚の中身を出しては、分別して、ダンボールへと詰め込んでいく。必要なものは箱の中へ、いらないものは、さらに分別して袋の中へ。その作業は何日かけても終わりそうにない。もう引っ越しの日は近付いているのに、本当に当日までにまとめきれるのかが不安だった。
 スマートフォンに繋いだイヤホンから音楽が流れ続けている。この退屈な作業を和らげてくれる唯一の娯楽。それを聞き流しながら、私は棚を開け、収納ケースを開け、引き出しを開け続ける。

「あ」

 机の引き出しを開けて中身を出したところで手を止めた。
 なんとなく取っておいただけの、あってもなくてもいいような物の中でひとつ、キラリと光るものを見つける。手にとって見れば、それは小さなおもちゃの指輪だった。

「懐かしい、まだあったんだ」

 おもちゃの指輪はチャチながら銀色に光る。
 初恋の人にもらった指輪だった。
 その子は隣の家に住む幼馴染みだった。物心つく前から家族ぐるみの付き合いだった私たちは、毎日一緒に遊び続けていた。その中で私はあの子に恋をしたけれど、その頃の私は恋心というものが恥ずかしくて仕方なくてなにも言えなかった。なにも言えないまま、その子は家族に連れられて小学校卒業前に転校して行ったのだった。
 この指輪は、その子とお祭りに行ったときに買ってくれたものだ。
 小学一年生のとき。幼稚園のではないお祭りに行くのはそれが初めてで、なにもかもがきらめいて見えた。その中で、私は露天に並べられたチープでかわいい子供向けのアクセサリーに思わず目を留めた。
 チープながら五百円ほどする指輪は私にはとても手が出なくて、一緒にいたお母さんもそんなものはいらないからと買ってくれない。それでも指輪を見つめていると、その子が指輪に手を伸ばした。

『これがいいの? かってあげる』

 そう言って、露天のおじさんに五百円払う。そのまま流れるように私の手を取って、指輪を人差し指に通してくれたことが、忘れたくても忘れられない。
 その瞬間、お祭りよりも指輪よりも、その子が輝いて見えた。通した指は人差し指でも、結婚ごっこをしたような心地で私は舞い上がったのだった。
 結局、その指輪は小学一年生の指には大きすぎて落としてしまうからと巾着にしまい込んで、そのままつけることもなく忘れてしまっていたけれど。

「……やっぱり、もう入らないな」

 指輪を左手の薬指に通してみようとする。爪先で止まって、どう頑張っても付け根まで通りそうになかった。
 そうやって感傷に浸っていると、イヤホンが曲を流すのをやめ、電話の着信を知らせる。慌てて出てみると女性の声で挨拶もなく話し始めた。

『ねぇねぇ、引っ越しの準備終わりそう?』
「全然。そっちは?」
『全然! やってもやっても終わんなくってさぁ! 疲れたから電話しちゃった』
「ふふふ。ちょうどよかった、声が聞きたかったんだぁ」

 軽快な女性の声。
 指輪をくれた、あの子の声。
 おもちゃの指輪を通そうとした左手の薬指には、ちゃんとサイズの合う銀の指輪が嵌められている。大人になってから、あの子がくれたもの。

「お祭りで買ってくれた指輪、覚えてる? それが出てきたから思い出してた」
『えっ、あれ? まだ取ってあったの? やめてよー、恥ずかしい。そのときから大好きだったのバレるじゃん』
「私もそのときから大好きだからいーの」

 子供の頃離れ離れになった私たちは、もうすぐ一緒に暮らす。引っ越し作業はなかなか進まない。通話までしてしまうと、手を動かそうという気さえ忘れてしまった。

「これは婚約指輪で、この前もらったのが結婚指輪なの」
『ふふ、予約早すぎ』
「ずっと好きだったんだもん」

 二つの指輪を見比べる。
 おもちゃの指輪は、やっぱり本物に比べたら格段に見劣りした。銀色はやたらキラキラ光って、埋め込まれたピンクの石は半透明で輝かない。それでも恋のはじまりを、昨日のように思い出させる。
「出しやすいところにしまっとこうかな」
『そんなに大事にすると、小さい頃の私に嫉妬するぞ』
「見たーい!」
『あのねー』
 他愛もない話をしながらおもちゃの指輪をダンボールの一番上に入れる。大事なものを入れた箱の一番上へ、そこらへんにあった何も入ってない巾着に入れて。
 もう忘れないように、失くさないように。
 初恋を、今の気持ちを、忘れられないようにしまい込んだ。

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